他人とうまくやった方が人生は絶対に楽しくなる

自分がうまくいっていないのを前提に、このような見出しをつけた。

僕は、相手のことが嫌いになると、もうこの人とはいいやという見切りをつけてしまう。それだけならまだいい。見切りをつけた上で、表面上は平気を装い付き合っていくことができると、特に問題は起こらない。つまりポーカーフェイスを装うということだ。私にはそれができない。露骨に態度に出てしまう。絶対に目は合わせないし、そのものが近くにいるならば、自分がその場から退き、違う場所に移る。自分でもあきれるほど徹底している。だから、分かりやすい人間とよく言われる(もちろん悪い意味で)。

 

上記のような姿勢は、社会生活上アウトである。中高生ならまだわかる。いい大人が感情のコントロールもできず、自分の怒りの感情にまかせて、わがままに振る舞う。結局自分も相手もやりにくくなる。わかってはいても、仕事がやりにくくなることなどどうでもよくなるほど、相手への嫌悪感が強い。

 

この嫌悪感の強さはどこから来るのだろうか。以前にも述べたことだが、相手から承認されてないことからくることが、私の場合は多い。結局は認められたいという気持ちだ。この承認欲求の強さはどこから来るのか。今ひとつ自信が持てていなかったり、相手に対する劣等感や嫉妬であったり、子どもの頃親に認めてもらえなかったことだったりと様々なことが考えられる。そして、いつしか相手が「競争において勝つべき敵」となってしまう。一度刀を抜いた以上、容易には引っ込めることができず、自分一人で意地を張る。どうすればいいんでしょうね。

 

社会生活は、多くの場合、相手に譲った方がうまくいく。そして謙虚な気持ちで、「自分はまだ未熟なので勉強させてください」という態度を持てるかが勝負だ。勝ち負けではないが、「負けるが勝ち」の考えが死活的に大事だ。もちろん、頑として主張をしなくてはいけないことはあるだろう。しかし、つまらぬプライドを捨てて、負け(謙譲)の美徳を保守すること。相手に対してではなく、神様に対して「自分は相手に対して向きにならず、愛の気持ちで接することができました」といつも報告できるようになること。私みたいな器の小さい人間は、神様との契約という形にまでしないと、克服できない。

 

最後に、社会生活でバランス感覚を保つための最重要事項は、自分だけの大好きなことを持ち、人生においてそれを楽しむこと。つまり人生の居場所を職場以外に作ることだ。

私は今後とも自分と戦い続ける。敗戦続きではあるが、いつかどんな相手でも愛せるような超人的な人間になれるよう、葛藤しながら進んでいくつもりだ。乞うご期待!