寡黙

話したいことを我慢して、寡黙でいることは難しい。

 

どうしても自身の存在を主張したいのか。自分にはどうもその傾向があるように思える。認められたいという執着から逃れられない。他人は他人、自分は自分という境地に至れない。苦手な人にも笑顔で自然に振る舞えるようになりたい。こういうことを普通にできている人はいるのに…

 

人はなぜ話すのか。会話の中の沈黙を耐えられないのか。それは不安だからだ。相手は今つまらないと思っているだろうか。自分は相手からおもしろいやつ、いい人などと思われているだろうか。さまざま想いが、沈黙の空白時に頭の中を駆け巡る。

 

結局のところ、だれからも好かれたいという心理に行き着く。人は欲張りだ。そして自分も欲張りだ。その強欲を中和してくれるものは、いつもの展開だが、趣味だろう。大好きな物があれば、自分にはこれがあるから、多少人付き合いがうまくいかなくてもいいやという気持ちになれる。そうなると、言葉の数もしだいに少なくなり、寡黙に近づけるのではないか。そして、職場中心、仕事中心主義から抜けることができる。

 

料理でも、車でも、工作でも、山登りでもどんなことでもいい。趣味は人に余裕をもたらし、それが優しさにつながるのだろう。